忘己利他(もうこりた)の概要
うーむ、これだけだとIQ53万のボクでもいまいちピンとこないような・・・。
ちょっと詳しく説明します!
もうこりた(忘己利他)と天台宗
最澄(さいちょう)の言葉に「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」という言葉があるとのこと。
自分自身の欲などを忘れて、まずは他人に喜ばれるようなことをするという行いの先にこそ、幸せがあるというような教えのようです。
確かに、自分自身のためだけではなく、他の人のためだからこそ頑張れる、ということもあったりしますよね。
「幸せ」の定義は難しいものですが、今も昔も多くの人が悩みながら見出してきた答えという感じがします。
もうこりた(忘己利他)の意味と個人的な感想
「忘己利他」とは自分の欲は考えないで、まずは他人に喜ばれることをしていこう、という意味でしたね。
うーん、普段そのようなことをやっている時もある気もするし、全くやっていない気もする。(いや、どっちだ)
昔から伝わっている言葉ですが、現代社会にも通じるところがあるというか、人間の本質は変わっていないんだなという感じがしますよね。
なんとなく、そのやり方嫌だなとか思うような、姑息なビジネス手法みたいなのに嫌悪感を抱いたりすることは、皆さんも感覚的にあるかと思います。
(ボクも結構そういうことが多くて、だから「ビジネス」って強く打ち出しているもの自体にも少し苦手意識があったり・・・)
それって、自分たちの利益しか考えてないようなやり方を見て、本能的に嫌悪感を抱いているですよね。「忘己利他」だけでは企業としての利益は上げられないかとは思いますが、どこかでそのような精神はあってほしいものだと思ってしまいます。
なんかそんな言語化できていない感覚の中心に近いところに、このような仏教の教えとかがマッチするような感覚があります。
科学や技術は進歩しましたが、人は変わらないですね。そして、ボクらも人ですし、関わりあう相手も人です。
そんな時に、「忘己利他」(もうこりた)を意識してみたら良いかもしれません。
このような言葉を知ることで、普段の生活の中で感じる感情や感覚などを言語化してもらったような感じがして、結構好きなんですよね。
たまに「忘己利他」(もうこりた)を意識してみてはいかがでしょうか。
コメント